楽しいってどんな状態が楽しいのかな、とふと考えました。
私、実は「楽しかった~!」と心から思う瞬間がそんなになかったです。
いや、正確にはあるにはあるんだけれど、
最高に楽しくてそれが長続きする、がない。
まあまあ楽しくて、それは時間とともに終わる、というパターン。
小さな子のように何日も前から遠足を「まだかな~」と心待ちにしていると
当日の前からずっと楽しくて、当日も非日常な体験だからそれだけでうれしくて楽しく
て、帰ってきてからもあれ楽しかったな~、と絵にかいたり人に話してみたり、
楽しさが持続している。
なにが違うのかといえば、子供にはマンネリがないから、
いつでも新しい心でワクワク楽しめるんじゃないかと思います。
大人は美味しいものを食べに行く、行きたいところに行く、としても
だいたいこんな感じかな、というイメージが自分の中にできちゃっているから
楽しいけどまあまあ。という感想になるのかもしれません。
そのうち、楽しいよと言われても面倒くさくなって
「どうせ楽しいと言ってもたかが知れている」と思って
意欲までなくなってしまう事もあります。
年を取るにつれてほしいものもなくなるし行きたいところもなくなる、
というのは良い言葉で言うと「落ち着いてきた」になるのかもしれませんが
ぶっちゃけ「心まで年老いて乾いてる」、になるんじゃないでしょうか。
心と体、どちらが先なのかわかりませんが、
心が年老いてワクワク出来なくなったら、
体もつられて老いるんじゃないかと思います。
両者は切っても切り離せない関係ですから~。
マンネリは脳の癖の一つと関係しています。
脳は過去を引っ張って考えるので、初対面の人を目の前にしても
「○○さんに似ている」と思うと瞬時にしかも無意識に○○さんに対するイメージで
目の前の人を見ちゃったりします。
マンネリで物を見ないためには0化しないとなりませんが、
過去のイメージを0化するには、
そのイメージを作り出した本体である自分の存在ごと0化しないとできません!
存在を0化、って言ったら怖くなる方がいるかもしれませんが、
なくなってしまうわけではありません。(#^.^#)
マンネリは固定されている観点から生まれるので、
その固定をはずす、みたいな感じです。
イメージを作り出した自分も無いところから
新しく自分を生み出してみると
目の前に現れるものと新鮮に出会えます。
たとえ前に知っている事や物であっても、特別すごい事や物じゃなくても!
そしたらマンネリだと思った日常生活も
特別なものを用意しなくても毎日楽しく、
特別なことがある時はさらにめっちゃ楽しく過ごせるんじゃないでしょうか。
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