日本人には多いとも聞きますが、わたしは
お金を憎んでいました。汚いと思ってました。
お金持ちは、たいていケチで意地悪で自己中心的だ、と思っていて、
世の中はこんな人たちが威張っていて
弱い、お金のない人をいじめているんだとみていました。
私はそんなひどい人にはなるまい、と思っていたのですが
それはつまり=お金持ちにはなるまいという決断でもあるので
お金に縁もありませんでした(笑)。
お金があったらあれもできるのに、これもできるのに、
と思う場面が何回もあったけれど
お金が欲しいのにほしいと思ったらいけない、とも思っていてずいぶんあまのじゃくで
すよね。
お金や、お金持ちに対しての悪いイメージは、あとからセッションをして、
小さいときから思い込まされてしまったものにすぎない、ということがわかったのです
が、
そうわかってもお金にあれこれ言うのは卑しいと思ってしまうのが消えませんでした。
あるとき友達に「お金と自分がイコールだって思える?」ときかれ
全く全然そんな風に思えない、といったら、「じゃあ稼げるわけないわよね。」
と言われました。
全てが自分の認識画面だ、という前提からみたら、自分の体も、お金も等しく画面に出
てきている自分の認識の結果体に過ぎないのですから両者はイコールなのです。
もっと言えば世界にあるお金はすべて自分の認識の中なのだから、自分のもの。
自分のほうに来るように認識をセッティングすればいいのだ、と。
認識技術、とても深いこの技術を少しずつ体得していく中で
残念ながらいま現在、まだ世界のお金は私のもとに来てはいませんが、
私の認識が私の体が「自分」ではなくて
もっと広い範囲が「私」なんだ、と思えているときにはなんだか違います。
広い範囲の「私」で物を考えていて、
体の「自分」じゃないことのためにお金を必要だと想っているときは、
お金が、必要だと思っていた額の分だけ不思議と集まってきます。
お金が「私を使って!」とやってきたのかと思うくらい。
エゴの私がお金ほしい、と思っているときは来てくれないけれど、
エゴを離れた私がほしい、というと来てくれるのか、と感じた時に
お金って偉いじゃん、と思いました(笑)。
良く人を観ているんだな、と。
いま、格差を作ってしまう資本主義は限界に来ていて、
貧しい人はさらに貧しく、お金持ちはさらにお金持ちに、
という変なシステムが行きつくところまでいってしまいそうになっています。
お金もそれを知っていて、今の資本主義の先のシステムへ世界を進めようと思っている
ところへ自分を活用してもらおうと思っているのかもしれません。
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