酒野夫妻はケンカが多い。
といっても一方的に妻のツマ美さんがぷりぷり怒っていることが多いのだが。
今夜もツマ美さんはぷりぷりしながら、
酒場まぼろしでベンテンビールを飲んでいる。
「もう、夫の一言一言がケンカ吹っ掛けられているようにしか聞こえないのよ。」
「どういうこと?」
「風呂のカビがすごいね、と言われたら、お前掃除をちゃんとしろよ、に聞こえる。
おでんのジャガイモ、少し硬いね、と言われれば、お前ちゃんと火を通せよ。
お帰り、遅かったねと言われれば、お前おせーんだよ。遅くなるなら夕飯作っとけよ。
てな風に。」
「す、すごい変換!!なんでそんな風に思っちゃうの?」
「うちの人、そういう人だから。私を非難するの。」
「非難されているように感じちゃうんだね。
客観的に聞いていると旦那さんの言葉ってただの感想に聞こえるんだけどな。」
「あなたにはわからないのよ。」
「でもさ、例によって旦那さんに確認はしてないわけでしょ?どういうつもりで言った
のかって。」
「まあね。でも聞かなくてもわかってるけど。」
「まあまあ、そう言わずに電話して聞いてごらんなさいよ。」
5分後。
「どうだった?」
「それが、あなたの言った通りただ思ったことを言っただけみたい。
これ、どういうこと??」
ツマ美さんは自分の中で自分自身を「私は出来ない人」
に固定してしまっているので
旦那さんの言葉もこの固定した自分から受け取ってしまうんですね。
だから非難されたように感じてしまう。
この固定を外さない限り、どんな誉め言葉を言われたとしても
お世辞にしか聞こえないでしょう。
そして一度この人は自分を否定した、とインプットしてしまうと
その人を見る目もまた固定されてしまいます。
この固定を双方が無意識化で自動的に行っているので
人間関係のこじれにつながってしまいます。
観点の固定、こわいですよ。
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