本当の和

日本の知らない日本

和というと
有名な聖徳太子の「和を以て貴しとなす」という言葉ですが、
この言葉のイメージは調和や多様性を認め合おう、という意味にとらえがちですが、
実際、多様性を認め合って調和をつくることは難しいです。
違いがあるのは当然だから、OKだよ。といっても
「あなたはあなたの考え」「私は私の考え」を邪魔しない、
にとどまっていて、融合することは出来ません。
格差、違いがあることが前提で和を考える、
これは相対的な和です。

これに対して違いのないところから違いを観るのが「絶対的和」です。
絶対的和は仏教の悟りの世界でもあり、すべての格差を許さない、絶対平等です。
だからこそ、そこから生まれる変化を神秘に感じることができ、認め合えるのです。

 

頭ではわかってもなかなか実際の生活で活用するのはむずかしそうですが、
実際に千利休が戦国時代にひらいたお茶の文化は
詫びさび美学が実現されていました。

これを知っただけでも感動しましたが
私が驚いたのは
Nohさんのお話にある「和」を聞いてからです。

絶対的和は仏教の悟りですが、悟るのがゴールで個人の悟りにとどまっている。
Nohさんの目指すのはさらに究極の悟りの世界、「集団の悟り」「侍の悟り」です。

私が好きなNohさんのお話があります。
本当の侍は、相手と対峙した時に自分というものが消えて
相手そのものになるので、相手は自分だから切ることができなくなる
というものですが、
このように個、自我をなくして相手そのものになれる境地が侍の悟りです。
これは自分や相手を尊厳でみていないとできない事ではないかと思います。
相手や自分の格差を取っ払った挙句に可能な境地だと思うのです。

この境地で出会える、多様なパートナー関係、
誰とでもパートナーが組める状態が本当の多様性だとNohさんから聞いてとても納得でした。
誰もがこの状態になったら、世界はどうなるでしょうか。
驚くのはNohさんが本気で人類77億にこの究極の和を使ってほしいと願っていることです。

宇宙のロゴスを0=∞=1という数式であらわして、完全学問を完成させたNohさん。
誰もが違いのない世界も違いだらけの世界も自在に循環しながら多様性を楽しむ世界がこれからの心時代、
これを世界にもっていくのが令和JAPANだと日本に熱いメッセージを投げ続けてくれています。