「自信がない」自分にさようなら③

前回まで 自分に自信がなく頑張っても達成感を得られない、自分を認めてあげることができなかった私。自信のなさから人からどう見られるかを気にするようになり、表面的な人間関係ばかりをつくってしまいました。夫にも家族にも誰にも本音が言えず孤独だった時、新たな限界が。出産することとなり、母親が子供の判断基準にものすごく影響してしまう事を知り、こんな自分から変わりたい!と強く思ったのでした。

前回⇒「自信がない」自分にさようなら② - 人生のSWITCH

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認識技術と出会って、

今まで自分のことは自分が知っている、なんて思っていましたが、

そんなレベルよりも深く深く自分をみていくことになりました。

その結果、

「自信がない私」というのは脳が決めつけた私で、

それは思い込みだという事に気づけました。

本当の自分は尊厳そのもの、何にでもなれる無限の可能性そのものだったのです。

それを確認した時、「もうガムシャラに頑張り続けなくていいんだ!」

何とも言えない解放感と安心を覚えて涙が止まりませんでした。

 

なりたい自分になれないのは、努力が足りないから、とかではなく

脳機能に限界があったからでした。

それは人間ならだれでも持っている機能的限界なのだ、とわかり、

私は母の人生をひも解いてみました。

すると、母の判断基準や母の人間関係の作り方も

私と同じだったのです。

0歳から12歳、私も母の影響をまさに受けて育ったんだと実感しました。

 

私は

母も苦しかったんだなあ、すごく頑張ってきたんだなあ、

と母と初めて出会ったような心持がして、

感謝の心と抱きしめたい気持ちになりました。

 

そんなわけで引っ込み思案だった私は、

大勢の前に立って話ができるようになるほど変化しました。

それも奇跡ですが、

さらなる奇跡は、私を尊厳と認めてくれる仲間がたくさんできたことです。

自分も相手も尊厳そのものと認めあえる、共通土台を持った関係の中にいて、

何を言ってもやっても壊れない人間関係を初めてつくれました。

その中にいるととても安心で、

この安心感があって初めて人はチャレンジしようと思えるんだ、とわかりました。

 

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今は子供たちにもチャレンジし続けられるような安心な環境を社会をつくりたい!

と思うようになりました。

日本が外国に比べて自分に自信のない子供が多い、と聞くと悲しいです。

ひとりの力では出来ることも範囲も狭いものですが、

同じ気持ちを持った人が、しかもお互いを尊厳そのものと認めあえる人たちが集まった

らどうでしょうね?

不可能はないんじゃないかって思います!!

子供も大人も安心して可能性を伸ばせるような社会、一緒につくりませんか?

 

(おわり)