心がとらわれる時

心がとらわれる時はいつでしょうか。

 

自分を否定されたと感じると

そこから心が動けなくなってしまうことありませんか。

 

なぜ否定されたと感じるととらわれるのか。 

それは自分でも自分を否定しているから。

 

もし自分が満たされていると本当に思っているなら

そんな否定なんて痛くもかゆくもないはずだから。

 

だから心とらわれた時はその相手のことをあーだこーだ考えて

拉致のあかない時間を過ごしてしまうよりも

自分の内面の整理に時間を使ったほうがずっと良いですよ。

 

相手のどんな言葉、行動、表情に否定されたと感じたのか。

その感情はどこからうまれているのか。以前もそういうことがないか。

感情はフッと湧いてきてしまうものだけれど、ちゃんと根っこがあるのです。

無意識の底のほうに。

それでだいたい根っこは自分を否定しています。

 

自分が自分を否定しているから、それを認めたくないから

人から否定されると嫌な気持ちがするんですよね。

 

私もそうでした。否定してくる人間を恨んだり、合わない、と離れたりしてきたけれど

当の本人が否定していることを認めたくなかっただけなんですね。

 

それがわかった時に恥ずかしいな、自分。と思ったんですが

それも人間がみんなやることなんだそうです。

みんな自己否定してるのにそれを観る勇気がない、見たくない。

 

みんなそうなら、恥ずかしいことないか。と割り切った時から

心がとらわれる時間が減ってきました。

仕組みなんだからしかたないよね、って。

 

でも否定するのが仕組みだから仕方ないって言われても

そんな自分のままでいるのは悔しい!わたしってこんなもんなの??

とあがきたくなってきて

どうにもならなくなってきたときに

 

認識技術できれいさっぱりゼロ化できる方法を使えるようになって

そうか、自己否定って、

こうやって自己否定する心をゼロにするために必要な仕組みだったんだと

本当に心がとらわれる時間がちょっぴりになりました。

 

この話はまた今度。