視点が違えば考えも変わる、そのことが持っているもっと深い意味。

公園でぼーっとしていたらこんな光景に出会いました。

 


幼い子供を連れた母と、友人らしき人物が立ち話している。
子供が「おはなしだめ!」と母の手を引っ張ったり

「ごはんたべたい!ごはん!」と言っている。
母は子供をそのままに話し続ける。

友人が「お子さん大丈夫?相手してあげて。」と言い
母は会話をとめて子供を相手しはじめる。

 

 

起こっている事だけ拾うとこんな感じなのですが

 

この背景に「心」をいれてみると、、、?

 

これはどの視点から見るかで見方が変わってきます。
一例をあげてみますね。

 

 

子供の視点から見てみると


ママ!わたしを見て~~!!

…私はママのこと大好きなのに…ママは私のことなんてどうでもいいんだ、

私のこと可愛くないんだ、と無意識に感じて不安感がある。

 

 

母からすると

 

いつもいつも自分が集中したい時に子供に邪魔されているから、またか、と怒りがある。

子供を優先させねばと感じてもいるけど

会話に集中したいので「お願いだから。今ちょっとだけでいいから!!」と懇願するような気持ち。

そして友人が気遣って「子供の相手してあげて」と言ってくれた言葉さえもとっさに

子供を大事にしない!と私を責めているんだ、と感じ

この友人も私を苦しめる悪者、くらいに無意識では思ってしまう。

 


友人の視点だと、

 

(この人は独身かもしれないとすると)
前述のような母の気持ちはよくわからない。

どちらかというと子供が心配になってしまう。

私はいいから子供を優先してあげて。

子供がママ、ママ、言っているのにそれを放っておいて会話しようとする行為は

いかがなものか。この人は自分勝手なママなのかもしれない、と思う。

 


こんなふうに色んな心がバラバラに動いています。
視点が違うと感じることも違うのですね。

 

そりゃそうだ。別の人間なんだから。
と思いますよね。

 

 

それが言いたいのではなく、その先です。

 

 


実は話したり聞いたりするとき、

人は自分の視点のフィルターを一度通過させています。

そのフィルター越しに相手をみて、こういう人だ、と判断しちゃう。

 

問題は

それが自分だけの独特のフィルターであることも気づかずみんなもそう思うに違いない事実のように

無意識深―く「自分が正しい」と思い込んでいる。

 

それが人間です。

 

 

 

自分だけの思い込みであることが分からないまま
どんなイメージで発言したのか、聞いたのかを相手にわかるように説明したらどうなるのか。


問題ですよね。

 

伝え方によってはけんかになっちゃうし、

こんな風に私のこと思ってたのか、とわだかまりを残すことになる。


そしてそもそも相手のイメージで受け取られてしまうから

完璧にあなたのイメージそのままでは受け取ってもらえない。

 

 

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心の中にしまっていても誤解しあうし、

声に出してもわだかまりが残る、伝わらない。


前にも書きましたが、しくみで観ることをしないと問題が発生してしまいます。

 

 

自分のイメージの体系がどんなふうに作られていったのか、

それがどんな性格を持っているのか。

 

しくみを知ると万人に同じことが起きていることが分かってきます。

そして相手の発言や態度が問題じゃなかったんだ、、、

ということがわかってくるはず。

 

 

自分独自のイメージ越しで人を判断し、こういう人なんだ、と決めつけて出会っている。。。
無意識でそれが自分の判断じゃなくて事実のように考えてしまったりもする。

 


だからコミュニケーションはズレていくし、人間関係もうまくいかなくなるんですね。

 

 

これはいかん!!大問題!と感じたあなた、
コミュニケーション改革、しませんか?

今までと違う相手に、自分に、世界に出会えますよ!

 

 

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