今の日本は日本じゃない。
私は若いころ、
何でも曖昧にして思ったことを言わない、主張しない日本人はダメだと思っていました。
建前でコミュニケーションをとるのも
本気で出会おうとしない、自分をみせるのを怖がっているんだと思えて情けないと
思っていました。
だから自分の主張をしっかりして自分の発言に責任も取る、アメリカやヨーロッパが
すごいと感じていました。
それが、アメリカ留学したときにちょっと変わりました。
海外の人は主張はするけれど、全体と調和させようという試みが
あまりないように感じました。
それとともに
相手に立場を変えて考えたり、繊細な心をくみ取ろうという几帳面さや熱心さは
実は日本人は当たり前にやってきたことなんだと気づいたのです。
白だ、黒だとはっきり主張しない曖昧を選ぶのも、
まさにNもできる、Sもできるの心だったんだな、と思いました。
建前の定義についてもNohさんの解析は全く違うものでした。
本音を隠すための建前ではない、
そもそも言葉の限界を知っているのが日本人だから、
言葉に頼らず、言わずとも感じ取る力を持っていた。
でも、こんな高度なコミュニケーションができた日本は戦前までの話です。
戦後、個人主義を軸にした資本主義にすっかり染まってしまったので、
もはや日本はかつての日本ではなく、本音を言って嫌われるのが怖いから
と建前する日本になってしまったのです。
Nohさんがきっかけをくれた新しい日本観から、
自分でも教科書に書かれてこなかったいろんな日本の話を調べるようになりました。
そして本当の事実さえも伝わってきてないんだな、ということがわかりました。
本当の日本を知らずに日本にいるのはもったいない。
AI時代は科学技術の恩恵をすごく受けることになるのと同時に
人間の存在意義が危機にさらされる、ものすごい不平等、不調和の社会を
生み出す恐れがあります。
もうそれは待ったなしに来る未来でもあります。
だからこのタイミングで令和を迎える日本が希望なんだと思います。
そして令和時代は本当の日本に気づいた人から、
曖昧の心を大いに発揮して世界を次元上昇させる時代なんだ、と思いました。
このブログへの
お問い合わせ・メッセージ←こちらからお願いします。