わかりあいたいのに わかりあえない本当の理由

家族と、友だちと、恋人と深くわかりあいたい!

 

そんな関係がどうやったらつくれるでしょうか。


受け入れてもらえる自分になること?


誰でも受け入れられる自分になること?

 

頑張ってもなかなか理想的な「わかりあえる」関係にならない。

 

それはなぜなのでしょう。

 

 

 

 

とある酒場「まぼろし」。

今日も一人飲みしているノンちゃんは考えた。

 

「一人は気楽でいいけどやっぱり淋しいな。

と言っても誰かと飲むと必ずいやな気持になってしまうし。」

 

ノンちゃんの酒の美学は


・ビールは絶対「ベンテンビール」


・つまみはポテチ(のり塩味)だけ!


・絶対つまみにしてはいけないのは刺身。ビールが不味くなる。刺身でビールを飲むやつの気が知れない。ビールへの冒涜だ!!

 


というわけで誰かと飲んでも

この流儀を認めて一緒に楽しく飲んでくれる友はいないし、

ノンちゃんも自分の隣でこれ以外の飲み方をされると気分良くないのであった。

 

 

そんなノンちゃんを「君の飲み方、素敵。」と認めてくれる人が現れた!

 

最近「まぼろし」によく来る酔田氏。


延々ベンテンビールとポテチのり塩でも嫌な顔するどころか、

心から楽しんでいる様子。

何を話しても酔田氏は

 

「そうなんだ、すごいなノンちゃん。」

「君の言う通りだ。ぼくも同感。」

 

と100%共感して受けとめてくれる。

 

ノンちゃんは(こんなに自分のことをわかってくれる人は初めて。結婚したい!!)

と逆プロポーズを決心。

 

「酔田さん、あたしと結婚してください!」

「ノンちゃんごめん、ぼく、付き合っている子がノンちゃんのほかに100万人いるんだ。」

「えーーーーーー!!!」


酔田氏は実は2018年最新型のAIロボットだったのだ。
自我をもたないため

人間関係で摩擦・衝突することなく相手を100%受け入れることができるのだ。

 

 

「あたしだけを見てはくれないのね、、、。」

 

 

 

さあ、この話からわかることは何でしょう。


全てを受けとめあえる関係を作りたい、

と思っても自我のないロボットなら可能だけれど

自我のある人間は必ずぶつかってしまう。


ノンちゃんのように極端ではなくても


「こうあるべきだ」

と無意識レベルで思っていることがあるのが人間だから。

 

 

じゃあ違いを認めあい受け入れよう、ってなるけれど

 

本当に「相手の立場になって/自分の立場になってもらって」

「共感した」うえで違いを認め合うのと、


私とあなたの間に「違いという境界線」があることを

「認めている」のでは関係性の深さは変わってくる。


酔田氏みたいに相手の立場になって

自らも心からそれを楽しんで受け入れる、ってのと、

君はこういう飲み方が好きなんだね、ぼくはそれは楽しめないけどOK、きにしないよ、という受け入れ方の違い。

 

 


え? 自我がない人間なんてありえないじゃない。


自分は自分なのに

相手そのものになって100%共感するなんて

そもそもできっこないんじゃない?

 

つまりわかりあえないんじゃない?

 

 

そう、その通り。
本当にわかりあえる、なんてことが実はそもそもありえないのです!!

 

人間の脳や、自我を形成する判断基準のしくみが


そもそも人同士がわかりあえないようなしくみになってるのです。


そのことを知らないまま人間は今まで何とかわかりあおう、わかりあえるはずと頑張ってきたのです。

 

 

わかりあえない設定になっていることを知ってみると


ケンカ当たり前でしょ、


離婚当たり前でしょ、


戦争起こるのも当たり前でしょ~~がわかります。


設定なんだから仕方ない。

別にあなたや相手がわるいんじゃなかったのです~~。

 

 

じゃあどうすればいいの?

 

 
これからはまずそのしくみや、

何のためにそんなしくみになっているのかを

まず理解するのがとっても大事!

 


理解したら次はそこから出る。技術が必要だけど。

しくみに支配にされないところから人間関係を結んでいくことで

本当にお互いの立場になって共感しわかりあえる、友達になれます。

 

 

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