『心感覚』学んでいると、『マトリックス』のシリーズもとってもよいテキストになる。
錯覚である現実世界、ということが映画でもマトリックスとして表現されている。
ちょっと前、『マトリックス・レザレクション』をみて
どうやってトリニティは子ども・家族への執着を断てたのか考え込んだ。
現実世界になんだか違和感を感じながら生きていたから、
ネオから真実を明かされたときに現実を捨てる決断ができたのかな。
この現実がマトリックスで虚構であることを思いだしたのかもしれない。
だからと言って、目でみたら目の前の子がかわいい自分の子どもにみえる。
虚構と思うのはなかなか難しい。
脳の癖が働いて、「子どもとあんなこともあった、こんなこともあった」、とかけがえのない思い出が噴出してきてとてもお別れできなくなると思う。
これが執着というのか。
そもそも執着が湧いてしまうのも、「自分」が存在するから。
そうさせてしまうのは今の言語のS(主語)とV(述語)という構造だからという。
この言語構造では「存在が動く」というものの観方になってしまう。
マトリックス世界はSV言語の世界。
本当は心の動きが「存在するように認識させて」いる。
ワンパターンの動きだけが実在する。だから「存在」はない。自分も相手もない。
所有したくても所有できない。執着したくても執着できない。虚構なのだから。
コペルニクス的認識の大転換。
トリニティはそれがしっかりわかって、
勇気をだして迷いを断って本当の世界に戻ることを決断したのかと思う。
そのシーンの後は、めちゃめちゃ強くなって、びっくり。
ネオしか空を飛べなかったのに、悟ってネオをぶら下げて飛んじゃうくらいたくましく変化した。
真の女性性が開花したらこうなるのか!!
五感や脳を選択すると
目の前の現実は虚構なのに、すっかり脳にだまされて
執着の心が生まれて本当の世界から遠ざけてしまう。
脳に依存するとどんなに人間の可能性を妨げてしまうのか
みせてもらった映画でした。