自分は人間だ、は当たり前じゃない?!

今日はとても嬉しいことがありました。

 

子供が、「おなかの中に来る前はね、太陽とかにもいたんだよ。」

とはなしてくれました。

わあ、すごいね!というと、

「恐竜のときもあったよ。ティラノだった。」とつづき、

いきなり

「(自分が)寿司のときもあったよ。」(*‘ω‘ *)

 

「え?寿司? 食べられちゃったの?」

「あ、間違えちゃった。スシローの寿司のお皿だよ。」

「え?お皿?」

「寿司食べたいな、って食べちゃいそうになったけど誰かが食べたからああよかった、

と思ったんだ。」

 

思わず笑ってしまいましたが

子供の自分のとらえ方が、当たり前に「人間」ではなくて

人間だったり、太陽の中にいたり、寿司だったり、と自由自在なのが

とても嬉しかったんです。

 

 自分で自分を決めつけてしまうのが、

可能性をせばめていくスタートでもありますからね。

 

いま、VRの世界を体験できる場所が増えていますが、

実際手で触れていないのに触れている感じがあったり、

感覚って何なんだろうと疑いたくなるらしいです。

バーチャルな世界が本当の世界と混同して何が本当かわからなくなる、と。

 

そのうち、記憶自体もデータのようにダウンロードして

別の人の脳に入れたりできるようになる、とも言われていますが、

そうするとどこまでを「自分」と思えばいいのか、

何を「自分」とおもえばいいのかがゆらいでくる、

というものすごい話になってきます。

当たり前のように自分を「人間」だと思ったり、

五感を信用して生きていると

ついていけない時代になってしまいますね。

 

初めから、自分と自分の宇宙は実在しない、と言い切っているnTechが

注目され始めているのもこんな背景があるのでしょうね。

 

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