私じゃなかったら良かったかもしれないの考え

なにか達成したい!!という時に

一番効率的によい結果を得たい!と思うのは、

今の、効率を重視する世の中では当たり前な考えかと思います。

 

だからなのか、抜擢されても

よーし、やったるぞ!とチャレンジせずに

私がやらないほうが上手くいくかもしれないから、

みんなのためにも他の、もっと適役な誰かお願いします!

という人も多い気がします。

 

 

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状況にもよるとは思いますが 

絶対絶対失敗が許されない、という状況でなかったら

チャレンジできる心を育てるほうが

ずっと、効率が高いと思います。

 

みんなの利益のために辞退するよりも

みんなの利益のために貢献できる自分になるチャレンジをし続けるほうが

結局みんなのためになる気がする。

チャレンジする人は美しいので

そういう人がいるだけで周りも感化されたりします。

自分もチャレンジしようと思う人や

そういう人を応援したくなる人、

それによってみんなの心が一つになっていったりすると思います。

 

しかも

失敗が許されないという状況も人間が考えているだけで、

何をもって「失敗」とするのか、

本当に許されないのか?

どうして許されないのか?

誰に許されないのか?

など考えてみると「なんでだっけ?」となることも多いのではないかと思います。

 

失敗しないのがいい、というのが

疑いもない常識のように思ってしまうと

動けなくなる、新しい動きもなくなる。

結局いつもの人が担当するので、その人がいないと進まなくなる。

非効率的だな、と思います。

 

何を隠そう私自身が「私じゃないほうが良かったんじゃないか」

とウジウジ思いがちな人だったのですが

その考えをもっていて良いことは何一つなかったのです(#^_^#)

だからもうこれはやめよう、やめたい!と思った次第です。

 

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