どうして相手の反応にふりまわされてしまうのか

酒場まぼろし

 

常連客のノンちゃんと石蔵さんが飲みながら会話の最中。

会話、といっても聞こえてくるのはノンちゃんの声ばかりである。

実は石蔵さん、 

苗字の通り「石の蔵」だから重たそうなイメージだけど

何が重いかというと口が重い。

 

一方、会話が弾むということが、

相手は楽しんでいる証拠であり、

コミュニケーションがうまくいっている証拠

と思っているノンちゃん。

 

でも

寡黙な石蔵さんと

ポンポンと会話のキャッチボールが弾むはずもなく

ノンちゃんからみると

石蔵さんは楽しんでいないように感じる。

 

そんな相手を目の前にするとノンちゃんは

会話が弾まないのは私がつまんないせいなのかも。

石蔵さんの興味ないことばかり話しすぎているのかな。

飼ってるカメが脱走した、なんて話はどうでもよかったのかもしれない。。。

近所のスーパーでポテチのり塩を買い占める客だと有名になってしまった、

の話も余計だったかもしれない。。。

と自己嫌悪へ走っていく。

 

石蔵さんの表情や反応が気になってしまい、沈黙が来ると

まずい!何とかしなきゃ!!と焦って会話の種を探す。

焦れば焦るほどどうでもいい話をマシンガントークしてしまう。

ぎゃ~っ、この話も無反応だ~~。 、、、撃沈。

 

ダメだ、

自分が会話も満足にできないダメ人間だって思い知らされる。

私はたった一人も楽しませることができない

つまんない人間なんだ。。。

でもだんだんなぜか石蔵さんにも腹が立ってくる。

私をこんなに苦しませるなんて、、、ひどいじゃない!

 

 

ノンちゃんがなぜこうなってしまうのかというと

自分というものの評価を他人にゆだねてしまっているからです。

 

相手の評価で自分の価値を決める、という状態になってしまってますね。

相手が楽しんでいたなら自分はOK!いけてる!

相手がつまらなそうだったらやばい、私いけてない人。

相手軸で動いているので振り回されてしまう。

しまいには委ねておきながら

ふりまわしてくる相手に不平不満がたまり、怒りまで出てきてしまう。

 

どうして自分で自分のことを規定できないのでしょうか。

それはノンちゃんが

自分が何者で、なぜ、何のために生まれたのか

を知らないからです。

 

どうして自分がこの両親の間に生まれたか、

というレベルの追求にとどまらず、

どうやって宇宙が始まって人間が誕生して自分が生まれたのか。

そこまで知る事が最優先の必要な追求です。

 

でも最優先なのに

ノンちゃんだけじゃなくてほとんどの人が自分の存在理由を知りません。

親だって知らないし、学校でも教えてくれません。

というのも最先端の科学でさえ今そこを追求中なんですよね。

そう考えると全てを論理とイメージで伝達できる認識技術の

最先端の最先端っぷりが、本当にすごいと思います。

 


この本質的な問いに答えることができたなら

自分の存在や人生が唯一無二の奇跡であることがわかるので

そこに意味も価値も感じられるようになります。

自分や自分の人生が愛おしくてたまらなくなります。

当然、他人の評価に振り回される事もなく、ブレなくなります。

それどころか他人の存在や人生も同じように

尊重できる自分になります。

それくらい本質を知るって素晴らしいことですよ!!

 

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「あの、、、ノンちゃん。」

「何?石蔵さん。」

「あの、、、、、、。ノンちゃんの、、、カメ。脱走した。。。

散歩したかったんじゃないかな。。。。

散歩、できる庭、、、つくってあげたらいいんじゃないかな。。。。

と話聞いてずっと考えてました…。

。。。ノンちゃんの話は、、、、いつも、、、楽しいね。ありがとう。」

「え!ほんと?楽しんでくれていたの?!

何だ、つまんなそうだと思ったのは私の思い込みだったのね。

じゃあ、カメネタどしどし出しちゃおうかな~~~~♪

あのね、あのね~~。」

 

(つづく)