重たい、と思われる気持ち

重たい、という言葉が悲しく感じる時があります。

昔ボーイフレンドに言われた言葉、「気持ちが重すぎるんだよ」

私の「好きだという気持ち」を相手が負担に感じて

「重たい」と思われていたことにショックでした。

 

でもチャランポランな人だったら、

私の気持ちが重かろうが軽かろうが気にせずスルーもできるのに、

ちゃんと「受けとめられません」と負担に感じていたという事は

ちゃんと向き合ってくれていたのかもしれない。

 

そんな私も世話焼な母に対して「重たい」と思ったこともあります。

うるさいなー、なんて言いたくなっていた。

自分が子供に同じように世話を焼いて「うるさいな」と言われて、

初めて母の気持ちもわかりました。

愛情があるから心配になって世話焼きになるんだ。

 

こんな風に「重たい」気持ちって、思いが強く濃厚に結集したものなのに

行き所のないエネルギーのようになってしまうのが悲しいな、と思いました。

 

これからはこのエネルギーをある一定の人だけに向けてではなくて

もっと広く、使えたらいいな!と思います。

自分の子供だけ愛するのではなくて、どの子もみんな「自分の子」みたいな感覚。

 

でもそのためには「自分」の範囲も広くなっていかないと難しいかもしれませんが。
小さい、狭い自分から大きく、広い自分へ~。

 

 

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