酒場まぼろし。
サラリーマン2人が飲んでいます。
「課長はお子さんが5人もいらっしゃるからにぎやかでいいですね。..」
「それはそうなんだけれど、いつも困ることがあるんだ。」
「どんなお悩みが?」
「どこかに遊びに行く、となっても5人みんな行きたいところが違うんだ。
太郎は映画が見たい、次郎は水族館、三郎は鉄道博物館、四郎は遊園地、五郎は動物
園って具合に。」
「え~、それは大変ですね。どうやって決めるんですか?」
「今日は太郎の意見を取り上げよう、次回は次郎、という風に順番制にするか、
くじ引きで決めるか、とかやってるけどね。」
「なるほど。」
「でも子供だからか、次回はお前の番だから今回は我慢しなさいといっても
理解できないみたいでブーブー言うし、公正にくじ引きしても、引き当てなかった子は
納得しないんだ。」
「子供は素直ですからねえ。」
「でもさ、俺たち会社でも同じような事やってるよな。
プロジェクトするのに結局全員の意見を取り上げられないから
どうしても多数決ってやり方だったり説得だったり。。」
「そうですね。一見丸くおさまったように見えていても、
結構不満分子を残してしまうというか、決まった後も小さい衝突続きますよね。」
「なんかいい方法ないのかなあ。」
考え方や判断基準のことを「観点」とよんでいますが
人はみんな考え方が違うので、それをすべてうまくまとめるのは一苦労です。
上手くまとめたとしても
必ず誰かが妥協したり、我慢したりする部分を残していることも多いでしょう。
多様な観点をすべて融合させるには
溶鉱炉のように
いくつもの鉄を溶かして一つに融合させてから
全く新しいものを生産すれば可能ですが
そんなことができるでしょうか。
溶鉱炉で一つに溶けるって、混ざる、ではなくて融合だから
自我までも溶けるイメージだと思いますが
そんな、無我状態になれる仙人みたいな人なんて、なかなかいませんよね!
そう思うと自我と無我を行き来できる技術があったとしたら
これからの組織作りにとっても役に立つ道具になると思いませんか。
誰かが我慢することなく、みんなの考えを融合できる技術。
そんな夢みたいな技術。
(つづく)
このブログへの
お問い合わせ・メッセージ←こちらからお願いします。