心が開けないクローズな私の友達作り①

人から「ひとあたりいいですね。」と言われるから

自分は社交的なんだろうと思っていました。

比較的どんな場所でも出かけて行って、

人に話しかけたり話しかけられたりするのは得意でしたし

1人でいるのも好きだけれど、人の中にいるのもいいな、という感じ。

でも人といてすごく楽しい!ということはあまりありませんでした。

どんな人といても「もうそろそろ帰りたいな」と思ってました。

何なんだろうこれ。社交的な面と全然そうでない面と、両面持っていました。

 

ドラマで、「おれたち仲間なんだから迷惑かけるとか言うなよ」

というシーンを見た時にうらやましいな、と思ったんですよね。

なぜかというと、私は「助けて」「手伝って」

が誰に対しても言いにくかったからです。

 

「ということは、あれ? 私、安心して頼れる友達がいないの??」

とはじめて自分で気づいて唖然。

助けて、と心を開いてお願いできる人がいませんでした。

 

色々内面を見ていくと、私は社交的どころか、かなりクローズな性格でした。

社交的と思われていたのは、自分が仲良く付き合える人達の範囲の中だけの話だった

とわかり、もっと言うと、仲良く付き合える範囲といっても

自分が傷つかないように相手に合わせていたので、

同じようにあまり深く入ってこない、傷つけあわない、干渉しあわない、

自分に合わせてくれてるような優しい?弱い?

人たちと無意識につるんでいたのかもしれません。

とにかく狭い付き合いの中のことでした。

だからそういう関係の人たちに何かを頼んだり負担をかけたりすることは申し訳ない、

できないと思っていたのかもしれません。

これに気づいた時に結構ショックでした。

ワタシって人づきあい全然できていなかったんだな~。

 

子供の頃は

何か物申してくる人たちに「否定された」とへこんだり、ムっとしたりしましたが、

大人になって、叱ってくれるのは愛情なんだなと、

反対に無関心が悲しいことだと分かりました。

ドラマのように

嫌われてでも相手に何かを気づかせようとしてぶつかってきてくれる仲間が

本当にうらやましいな、と感じました。

 

そんな仲間をどうしたら作れるんだろう。

本当の友達が欲しいし、自分も誰かの本当の友達になりたい。

そう思うようになった時に認識技術に出会いました。(つづく)

 

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