皿洗いと洗濯物干しが仲をこじらせる

パートナーと昔、些細なことで険悪になったことがあります。

皿洗いと洗濯物干しです。

 

私はお皿を洗ったら、よく水が切れるようにふせて立てかけて置くのですが、

パートナーはお皿をお皿にあおむけに重ねる。当然水が溜まっている。

 

私は絶対に乾かない彼の皿の置き方が私の辞書にはないものだったので

不可解で仕方なく、あとで自分流にふせて直してしまいました。

パートナーは気分悪くしたと思います。

 

 

洗濯物干しも、

私はどうしたら全部の洗濯物がすっきり乾くか、

という事を考えて干しているのですが、パートナーの干し方は、一つの干す道具にひし

めき合うようにびっちりぶら下げているのです。

これじゃあ絶対乾かないのに何考えてるんだろう。

これも私の辞書にない事だったので、あとで自分の干し方に直してしまいました。

パートナーはこれまた気分を悪くしたと思います。

 

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後でお互いのやり方についてどうしてそうしたのか、話し合ってみて驚きました。

お皿洗いでは、彼の観点ではどうせホコリが上から降りてきて皿に乗っかる。

だから使う前にまた水で軽く流してから使うのだからわざわざふせなくてもいい、

というのでした。

洗濯物の干し方もどれだけたくさん効率よくぶら下げられるか、が重要だったらしいのです。

私はどちらも「乾く」というのが重要ポイントでした。

 

お互いのやり方の背景を説明しないままでは

お互い不可解な行動をする人、という決めつけをしかねなく、

コミュニケーションはこんなところからぐいぐいズレてこじれて行ってしまいます。

 

行動の背景の大切さ、というお話でした。

 

 

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